最初から国民を信じるべきであった

8月12日に開催された新型コロナウイルス対応の東京都のモニタリング会議で、新規感染者が急増して来ている現状に対し、国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏は「制御不能な状況」「もはや自分自身の身は自分で守る感染予防のための行動が必要な段階」との発言があったと今朝の朝日が報じている。

まさにこの考え違いが今日までの日本の行政が行って来たコロナ対策の失敗続きの一番の原因だと改めて感じる。そもそも問題が起こった頃の官房長官が内閣官房としてコロナ対応を国が一括管理するとした軽率な、功を焦った結果が今日の状況を招いたのです。国民一人一人の協力がなくて感染対策が行えるはずがないのです。

今回のような感染症の蔓延防止対策として国が行うべきこと、地域が行うべきこと、そして国民が行うべき事柄を明確にして対応を考えてこなかったのだろう。

すなわち国が行うべき感染症蔓延対策の基本は、保菌者の特定、そしてその保菌者の隔離であり、国民が行うべきことは自分が感染しないこと、もし感染したら人に移さないことである。

しかし日本政府は保菌者を特定するためのPCR検査を「医療崩壊につながる」として検査体制の整備を行わなかった。また保菌者あるいは保菌者の可能性の高い人の隔離についても「我が国のような民主主義社会においては強制的に人を隔離することは法律的にもできない」としてホテルあるいは自宅での外出自粛をお願いするということにとどめた。

さらにダイヤモンド・プリンセス号では集団感染では色々と船内で対応が行われている間に日本へ入国された方がかなりあったそうであるが、現在でも国境でのコロナ対応法が十分に整備されていなそうであり、まさに国が初期対応としてまず行わなければならなかったことを全く行なってこなかったのである。

また国民一人一人に対しては、新型コロナウイルスを増やし、周囲に広げているのは人なのですから、国民に厳しい行動規制を行うべきであったが、選挙民の顔色を伺う議員達としては、国民が嫌がりそうなことを強要することはできないで来ている。

そして今になって「制御不能な状況」「もはや自分自身の身は自分で守る感染予防のための行動が必要な段階」とはなんなのだ。もはや全国に感染者が広まった状態ではどうにも国としての処置がないのだろう。国民を信頼せず、行政が一括管理してコロナ対策を行うから任せておけ、として来た行政は顔を見せず、会議での見解として報道させたのだろう。