今からおよそ70年前、敗戦後の日本でようやく自動車をはじめとする工業製品を自ら生み出そうと歩み始めました。
当時、マイカーを持つ人はまだごく少数。大企業の社長や重役は社用車としてドイツ車に乗り、私用車もBMWやメルセデスが選ばれていました。アメリカ車ではリンカーンやキャデラック、文化人の間では英国のジャガー、そして安全性を重んじる人々にはスウェーデンのボルボが人気でした。
若者の時代と外車の多様化
時代が進み、若者が車に憧れるようになると、日本の街には一層多彩な外車が現れました。
フォード・サンダーバード、ドイツのポルシェ、イタリアのフェラーリ、フランスのシトロエン、英国のロータス――それぞれが個性と物語を持ち、乗る人のセンスを映し出す存在でした。
クラウンやセドリックといった国産車よりも価格は高く、「どの車に乗っているか」でその人が判断される、そんな時代だったのです。高価であっても、気に入った車のためならお金を惜しまない。クルマは単なる移動手段ではなく、人生を彩るステータスでもありました。
現在の課題 ― 日本車の未来へ
そして現代。アメリカの関税問題が取り沙汰され、日本車が売れにくくなるのではという不安が広がっています。
しかし、本当に大切なのは交渉だけではありません。
日本車が世界で評価されてきた理由は明快です。
壊れにくい、燃費が良い、安心して乗れる。
その強みをさらに磨き上げることこそ、日本のメーカーが生き残る道です。
短期的な利益のために質を落とし、価格競争に走ってはなりません。かつてテレビやオーディオ産業がそうした道を歩み、世界市場から退いていったことを思い出すべきです。
株主の利益も大切ですが、企業が未来に残るためには「質で勝負する」という原点を守り抜くことが不可欠です。